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 ハイデガーの哲学では、客観存在はイデア的に永遠不滅で時間に関わらないが、主観存在は死へと向かう時間の中にあった。
 一方、仏教は、日本語は、主客を区別せず、諸行無常の下にあらゆる存在を時間の中においた。
 仏教はハイデガーよりも徹底した哲学、首尾一貫した哲学なのである。

 こう見れば、ハイデガーの哲学はいかにも中途半端な仏教なのである。

 では、自覚があったかなかったかは別にして、なぜハイデガーは、当時のドイツは、中途半端に仏教に踏み込んだかが問われるべきだろう。

 キリスト教への幻滅があったということか。
 ハイデガーを無神論的実存主義としたのはサルトルだったそうだが、ハイデガー自身はカトリックで、ただし距離感があったということみたいだ。

 産業革命を背景に、地方の地縁血縁を離れ、教会を離れ、都市に労働者が集まったが、彼らは個々バラバラの抽象的な個人だった。
 ハイデガーの現存在は、何よりもこの抽象的な個人のことだろう。決断によって未来を切り開いて行く現存在は、決断すること以外は何も決まっていない抽象なのである。

 こうしたバラバラの個人は、地縁血縁、教会といった中間組織を飛び越して、一気に国家に収斂する。
 100年前のナポレオンの近代国家への熱狂が遅れたドイツにやってきたのである。担い手はもちろんナチスである。

 抽象的な現存在であるハイデガーは、中間組織を超えて国家に、ナチスに熱狂した。
 ナチスによるユダヤ人虐殺は言い訳不可能な言語道断の営みであるにしても、戦勝国側の歴史観を離れれば、それ以外はそりゃそうだろうと自分は思う。
 ベルサイユ条約の理不尽な賠償金、世界恐慌による大失業と社会不安にナチスは一定の答えと解決を示したのだ。

 戦勝国側も、ナチスに負けず劣らずの大虐殺をやっているでしょ。
 岸田首相は広島出身ということだけど、日本人はアメリカによる広島、長崎への原爆投下を忘れてはいけないよね。全国での非戦闘員への無差別な空襲も。
 だからと言って、アメリカと仲違いしろというのではないけど。忘れてはいけない。
 
 ナチスは今で言うポピュリズムだ。
 小泉とか、まさにポピュリズムでしょ。

 中間層が没落すると、民主主義が機能不全となり、極端なことを言う、したがって分かりやすいポピュリズムの政治家が台頭するのだ。
 正しいかどうかではなく、分かりやすいことが重要なのだ。もっと言えば、間違っていても分かりやすいことが熱狂のポイントだ。

 地縁血縁、宗教団体等の中間組織を離れて一気に国家に収斂するのは、現代の日本の都市部と同じ状況だろう。
 われわれは今でもハイデガーの現存在の抽象の中にいる。顔の見えない個人なのだ。

 
仏教があればハイデガーは要らない_d0262222_08170475.jpg

 タックスヘイブンという逃げ道を絶った上で法人税を上げるのはトレンドだろう。
 岸田さんはそれに乗っかればいい。分配の財源は世界と歩調を合わせながらの法人税増税だ。

 経済安全保障という言い訳で、WTOとTTPをひっくり返して補助金を使って国内に製造業を戻す。
 熊本のTSMCは手始めだ。外国企業だけど、呼び水になるだろう。

 日本は既にお金持ちだから、国内でお金を回す仕掛けを作るだけで豊かになる。
 豊かな老人には、自分のお金を使ってもらえ。これ以上、彼らの死蔵貯金を増やす必要はない。
 オレオレ詐欺はダメね。あいつらは老人のお金をすぐに外国に送金してしまうから。

 若者が少ないなら、若者の給料を二倍三倍にしないとね。
 若者はたくさん消費してくれる。子供を授かれば、さらに。そして、その子供がまたお金を使う。
 
 安倍元首相は外国人労働者を入れたでしょ。
 ありゃ、ダメだ。それじゃ、日本人の給料は上がらない。
 人手不足は給料が上がるチャンスだ。景気が良くなって、インフレになる。外国人を補給してはいけない。岸田さんはコロナを理由にそれとなくシャットアウトすればいい。

 こんなの、自分ですら思いつく正しい経済学だ。
 実行できるかだね。
 新自由主義の見直しは、完全に正しいからね。方向は間違っていない。

# by k-onm | 2021-10-27 06:42
 ドイツ語ではistとbinの区別だが、三人称の客観存在と一人称の主観存在を日本語と違って区別している。日本語では、どちらもあるとか、いるだ。
 逆に言えば、ハイデガーのこの辺りの議論は日本人にはどっちでもいいということだな。日本語にはない区別だから。

 というわけで、ハイデガーは言葉半分で付き合うべきだろう。
 ハイデガーを研究するなら、もちろん言及するべきところだろう。当たり前のように言及はないけど。

 この客観存在はハイデガーにとって道具的存在だ。ギリシャ哲学の存在だ。気晴らしだ。ヒトだ。ダスマンだ。タフマンじゃなくて、ダスマンだ。
 われわれはこれに囚われて、本来の存在、原始キリスト教的存在、主観存在binである現存在を見失っている。

 上の囚われを離れ解脱してみれば、現存在が立ち現れる。
 この現存在は、死へと向かう時間の中から浮かび上がってくるものだ。
 解脱して現存在に目覚め、未来に向かって己れの実存を投企せよ。
 
 だいたい、こんなところだろうか。

 やっぱり主観への固執がある。どうしても。西洋人には忘れ難いのだろう。
 仏教では、もちろん滅却するべきところだ。

 時間から浮かび上がる存在は、ハイデガーでは主観存在だけだ。
 ここにも限界がある。
 客観存在だって同じでしょと、諸行無常を真理とする東洋人からはツッコミを入れたくなる。上の主観存在、客観存在の区別、binとist、amとisの区別に限界が見える。そもそも区別する必要はないだろうと。共に諸行無常でしょと。日本語では、現に区別していないしね。生きとし生けるものすべてに同じように命と死があるのだ。

 こうした主観性の外道に対して、やっぱり日本の哲学が要請されているのだ。
 
 改めて勉強してみると、西洋哲学の大半は外道だった。
 そして、日本の哲学のプロは、それに気付かないのか、気づいてもスルーするのか、知らんぷりを決め込んでいる。


三人称の存在isが一人称の存在amを覆い隠す_d0262222_08174863.jpg

 驚くほど自分のなすべき仕事が残っている。どこの馬の骨とも分からない自分に。これが危機だという認識もないのだろう。
 大学のこうした素朴すぎる西洋哲学マンセーは違うんじゃないかな。自分の足元を見ろや。

 東洋の時代だ。
 日本は散ってしまったけど、中国が盛り上がり、インドが盛り上がるだろう。
 経済だけでなく哲学も自信を持つべきだ。というか、アテネを見れば、哲学は散る段階で盛り上がるものだ。日本こそ、哲学の時代だ。


 リンナイが給湯器の音を修理して改善してくれた。
 こっちは困っていたことを解決してくれたからありがとうございましただけど、当のリンナイはしかし、ご迷惑をお掛けしましたの一言もない。
 何でこっちが一方的に頭下げなければならないかね。
 なおったからこれ以上は文句はないけど、態度が気に入らない。

 まあここは大人になろう。自分の闘うべきフィールドではない。

# by k-onm | 2021-10-26 06:48
 ハイデガーはサルトルと並んで、無神論的実存主義に分類されていなかっただろうか。自分の勘違いかもだけど。
 でも、聖職者になること前提で奨学金を受けながら勉強したという。原始キリスト教への傾倒はかなりのものだ。

 一瞬の永遠。
 今では結婚式場のコーマーシャルのキャッチコピーになっている言葉だが、物理学的な均質的時間に対して、こうしたエックハルトのような時間を病弱な若いハイデガーはぶつけて行った。

 若者に人気だったという。
 よかれ悪しかれ、革命思想ではあるな。ぶっ壊すのは得意だけど、革命後の秩序に考えが及んでいない。革命思想の特徴だ。
 その革命をナチスに託したというのも、あながち外れてはいないだろう。

 宗教的体験が重要だというのは、ハイデガーの言う通りだろう。
 でも、それがハイデガーにおいては革命思想になってしまう辺りが、胡散臭い。しかも、その革命をナチスに託してしまった。

 言っていることが極端だとは思う。
 宗教的体験と秩序は両立可能だと、呆渓さんは思うがな。

 新自由主義は問題だと、与党の岸田首相がおっしゃった。
 ありがたい話ではないか。われわれ労働者はそれに苦しめられてきたのだ。
 レーガン、サッチャー、日本では小泉からの新自由主義を見直すと。まさに革命だ。
 しかも、民主主義に基づいた選挙で、秩序と両立している。岸田首相がどこまでできるか分からないけど、任せるべきだろう。
 それが問題だと言った初めての首相だ。バイデン、習近平も取り組んでいるトレンドでもある。

 
ハイデガー 現象学の洗礼を受けた生の哲学_d0262222_08185188.jpg

 ハイデガーも、言葉への問題意識に欠けるかな。
 英米系の分析哲学の成果を取り入れるべきだろう。
 実は、言葉への批判は、仏教のものでもある。分析哲学と違って、仏教は言葉に対して素朴ではないけど。

 イエスは笞刑によって亡くなった。
 天寿を全うした仏陀の仏教と違って、キリスト教そのものが革命思想なのだ。

 日本とは思想風土が違う。
 西洋哲学研究がそのまま日本の哲学ではない所以だ。西洋哲学とは違った日本の哲学は間違えなく要求されている。
 日本で哲学に関わる人たちは、ここでは怠慢だけどね。西洋哲学は勉強しても、日本の思想は勉強しないでいい組織になっているのだろう、大学は。ちょっと違うよな。

 ハイデガーに限らず、ヘーゲル等も同様だけど、若い時に宗教を学んだ者が西洋では哲学を担っている。
 日本で哲学をしようとするなら、まず日本の宗教を学ぶべきだね。無宗教では、西洋哲学と勝負できない。
 

 妻の母と猫の墓参りに行ってきた。
 ついでに、三保の松原、登呂遺跡、臨済寺、奥静岡の安倍川の支流にある古民家カフェ、満緑にも。

 安倍川餅は、安倍川の餅ということだったのか。
 知らなかった。

 登呂遺跡には初めて行った。
 妻は小学校の遠足で行ったそうだが。これで登呂遺跡に行ったことがないのかと、妻にバカにされなくなる。

 三保の松原は、駐車場等がきれいに整備されていた。
 世界遺産登録の恩恵か。

 間近で眺める富士山には、いつものことながら圧倒された。

 臨済寺は前を通っただけだけど、息子ちゃんに見せたかった。

 中部横断道が全線開通していた。
 静岡から山梨へ一時間程度で行ける。
 トンネルと橋だけでできた高速道路だった。こりゃ、難工事だっただろう。

 かなり疲れるし、車の運転ではヒヤッとすることもあるのだけど、面倒でもお出かけすれば、いろいろ刺激にはなるかな。

 高速道路では、80キロ制限のところで捕まらないギリギリのスピード110キロで走るのだけど、次からは100キロに落とすか。
 軽自動車では、頑張るスピードだ。だから疲れる。
 中部横断道のように一車線の道では頑張ってでも流れに乗るべきだろうけど、二車線以上なら頑張る必要はないだろう。

 楽して旅しないとね。

# by k-onm | 2021-10-25 07:09
 こりゃ、トンデモ哲学だなと、嫌な気分になる哲学が大半だ。
 また、そんな哲学を無批判に研究する日本の大学の先生たちにイライラするのである。日本の文化的な伝統も考えてくれと。

 そんな中で、ヤスパースには嫌なものをあまり感じなかった。意外にも。
 実存主義というと、若々しいと思うと同時に青いものが付きまとうのだが、ヤスパースには成熟を感じる。

 前期ヤスパースの哲学は、自然科学への敵視がある。
 これも重要だ。哲学を自然科学に溶け込ませてしまおうというトンデモ哲学がある中で、非常に貴重な思想だ。
 ただ、敵視するだけでなく、後期ヤスパースは自然科学を制限付きで受容する。そこがいいね。

 自然科学にしろ、家族や会社、国家にしろ、やっぱりわれわれは生きていくなら付き合っていかなければならないのだ。受容しなければならないのだ。

 いいんじゃないですかね。
 
 ただ、英米系の言語哲学の成果をもう少し取り入れるべきだとは思った。
 まあ、そこは自分の仕事ということか。


ヤスパース とても共感できるけど言語への問題意識に欠ける_d0262222_08183393.jpg

 妻の実家のネコがあの世に召されたとのことだ。21年、生きたという。
 化け猫か。大事にされたということだろう。

 妻の母が年末に亡くなり、そのあとを追いかけるようだ。

 妻の母は結局は富士吉田の先祖からのお寺のお墓に入った。
 長男が嫁の家に入ってしまったから、妻の父の後、誰がその墓を引き継ぐのかという問題はあるけど、猫もそこに入るという。
 そこで妻の実家とお寺に行くことになった。
 上の息子には、妻の実家で合流する。ファックな娘は呼ばない。

 赤ちゃんだった息子ちゃんが、猫に覆い被さるように乗っかって、猫が嫌がっていた。
 そんな時代もあったなと。

 枝野が原発の水について相変わらずバカなことを言っている。
 無責任だわ。管さんがどうにか漕ぎ着けたところをひっくり返すか。じゃ、それ以外にどうしろというのだ。
 沖縄の基地と同じだ。悪夢の民主党時代がフラッシュバックするのは自分だけだろうか。

 野党が論外では、せっかくの選挙なのに政治に選択肢がない。
 
 一時的な給付金の問題でもない。
 だいたい去年の給付金だって、大半は貯金に回ってしまったという。それでは意味がない。
 給付金というなら、期限付きの商品券にするべきだろう。

 お金持ちの老人がお金を使わない。さらに、若者からむしり取って、そういうお金持ちの老人にお金を渡す。
 法人税を下げて、消費税を上げる。経済の大半を占める国内消費が冷え込む。
 これが問題だ。

 ノーベル経済学賞を取った研究者によると、最低賃金を上げても雇用は減らなかったということだ。
 そりゃそうだ。賃金が上がれば、最低賃金で働く労働者はお金を使うから。
 専業主婦のための優遇もなくした方がいい。いいようでいて実は働く女性の足枷だよ。

 新自由主義の見直し、新しい資本主義は、日本だけでなく、世界のトレンドだ。
 岸田首相、ぜひ頑張ってくれ

# by k-onm | 2021-10-21 07:07
 現象学的還元によって、われわれは俗世のしがらみを離れた。そこでフッサールは、感性的直観に基づいて認識する自己、その自己によって構成される世界に出会った。
 このあたりは、デカルトの方法的懐疑を思わせる。デカルトはそこで疑っている自分に出会うのである。
 仏教の出家と修行を思わせる。厳しい修行を経て、心身脱落して、空に出会うのである。ここでは自我すら滅却される。西洋の上の二つとの大きな違いである。

 さて、フッサールの認識する自己は、唯一神抜きで成立する。
 ここへの言及が絶対に必要であることは既に述べた。フッサール哲学の真髄である。さらに、歴史や社会と関わらない。
 工業化が進み、若者は田舎の地縁血縁を離れて、教会を離れて、都会の労働者になる。そこでは、個々バラバラだった。
 まあ、フッサールの哲学は、そういう人々の哲学ということだろう。しがらみはないけど、自由だけど、精神的に拠り所なく孤立無援なのである。労働者なら物質的にも拠り所がない。そこはマルクスの問題圏である。

 現象学的還元によって、孤独になってしまったのである。
 そうした孤独を引き受けて行くぞという力強い哲学が、ハイデガー、サルトルか。
 ちょっと耐えがたいよねというのが、シェーラーか。

 女好きで、三回も結婚している。
 女好きが祟って、仕事も失っている。

 自分は女なんて一人でもたくさんだと思うからこのバイタリティは理解しがたいけど、哲学にもそういう人生観は反映されているだろう。
 一回目の結婚相手はモルヒネ中毒で、ちょっとイカれた女だったということか。地雷を踏んだわけだ。まあ、そりゃ、別れたくなるか。

 仏教から見れば、現象学的還元は修行としては中途半端だとアドバイスしてあげればいいのかな。
 何で認識する自己が残るのよ、そんな小さな自己に執着していないで滅却して下さいと。
 シェーラーの問題も、したがって、小さい問題となる。

 マインドフルネスと名前を変えた禅が流行っているけど、ようやく西洋でも自己への執着の問題が自覚されるようになってきたということだろう。

 というわけで、女好きの屁理屈にしか、言い訳にしか聞こえないな。
 いまいち、ピンと来なかった。

 価値は同時に存在である。
 これはその通りだろうと思った。カセットテープは価値として存在するのだ。存在そのものが価値と不可分なのだ。カセットテープの価値がなくなれば、存在しなくなる。最近、見ないよね。

 価値の五段階。
 有用価値、快適価値、生命価値、文化的価値、宗教的価値。
 マズローの欲求の五段階説を先取りしていたか。

 この理論に基づけば、多くの日本人が自分を無宗教だと思っている事態は、ぶっちゃけ、自分はバカだと言っているようなものということだろう。フルチンで街を歩くようなものだと。
 その通りだな。

 とはいえ、仏教においても、方便として、フッサールの認識する自己も、シェーラーの実践する自己も、解脱や悟りの後にそのまま定立はされるだろう。
 ただ、あくまでも仮のものだ。真理とは別のものだ。そこがポイントか。フッサールやシェーラーの真理は、仏教からは、修行の通過点に過ぎず、悟後の仮のものに過ぎないということだ。
 

シェーラー 現象学的孤独は耐えがたい_d0262222_08181995.jpg

 日本人の給料が安いのか。
 分っちゃいたけど、岸田さんが明るみに出した。

 自分もできる範囲で、日本の株価を上げないとね。
 自分にできることは、精神世界の株価か。
 フッサールやシェーラーを研究しても上がらない。日本の伝統文化に基づいて差別化して、正しい理由でマウンティングして、その差別化が顧客にとって意味のあるものとして提案する必要がある。経営学の基本だね。

 老人は増える一方だし、重苦しい時代が続くけど、すべてを諦めてはいけない。できることはあるはずだ。
 スーパーボランティアのじいさんは、年金だけでボランティア活動をやっている。ある種の聖人だと思った。
 年金は日本のシステムでは、現役の子供たちが払ったお金だ。そう考えれば、貪れないよね。また、もらうなら、形は何であれ、子供たちに恩返ししないとね。

# by k-onm | 2021-10-20 06:48